Disease病気について

病気とは、何でしょう?

病気とは、何でしょう?
それを解くには、まず私たちの病気への視線を考えることが大切です。

医学研究では、病的な科学的変化を解析し、その化学変化を止めたり弱めたりする治療、そして病理学的に変化があった臓器を取り除く治療といったことになります。

確かに、現代医学が説明するように病気になると、身体の組織が変化することは事実です。ですが、「その身体の組織を変化させる力の源は?」という疑問が湧いてきます。これに注目すると、現代医療は、「そんな視点では病気のことは考えない医学である」とも言わざるを得ないのではないかと思います。

では、なぜ現代医学はその様に病気を捉えられないのでしょうか?
それは、私たちの心が「病気を敵視するから」に他ならないのです。
私たち自らが「幻の病気の姿」を作り出し、それを攻撃しようとしている可能性が大きいのです。それは、私たち自身の心が望む医学を作り出しているとも言えますし、また、私たち自身が「病気を敵対する姿勢」の現代医学を認めているといってもよいと思います。

しかしながら、「病気が身体にとって何の必要性もないもの」ならば、病気に敵対視する現代医学だけで十分に治療が出来るに違いありません。

でも、病気で苦しむ人が減らない事実があります。そこで、「病気が身体にとって必要なもの」と捉えなおすことで、新しい病気の姿が見つかるかも知れない…そんな事実も浮かび上がることになります。

このことは、病気の原因が解明されないことを、医療関係者だけに責任を求めるのではなく、人の心にある「病気への視線」を、もう一度考えてみることが大切であることを意味しています。また、病気への視線だけでなく、「私たち一人一人が他人のことを、どのように考えて行動しているか?」という人間が生きていくために本来必要な姿勢を考えてみる必要があります。

理論的な病気の姿

身体の構造と運動

まず、身体の構造と「生きる」という運動についてです。

身体はいろいろな臓器からなる一つのシステムです。
身体が「生きる」という目的を果たすには、システムとしての安定性が必要です。このことを理解しやすいように、3つの要素でできているシステムを考えます。

(3つの要素でできているシステムの特徴として、安定性を得やすいことがあげられます。人間も同じ様に、頭ー胸ーお腹の3つの要素で成り立っています。また、DNAも三つ組み構造です。このことから、人間の身体は遺伝子レベルから身体のレベルまで三つ組み構造を維持していると考えることができます。この入れ子構造のことを理論的には「フラクタル性」といいます。)

「安定しているシステム」は、3要素のバランスが保たれ、回転がなめらかです。ところが、3要素のバランスが壊れると、回転に振動が加わり、回転数が落ちやすくなってきます。これが「不安定なシステム」になります。

「安定しているシステム」は、元気な身体に当てはめることができます。システムの回転数が落ちにくいために、朝起きても疲れを知らず、夜中までも働くことができます。一方、「不安定なシステム」は、病的な身体に当てはめられます。システムの回転数が落ちやすいために、朝起きて仕事を始めても、直ぐに疲れてしまうのです。

このように、システムの安定性は、そのシステムを形成する要素のバランスにかかっています。人間の身体に当てはめれば、臓器のバランスが身体の安定性を生んでいるということになります。この身体の安定性によって、「身体が生きる」という運動を支えているのです。

理論的観点から見た病気の姿

次に、理論的考察を元に、病気について考えていきます。

病気の基本形である「炎症」を取り上げてみましょう。

臓器バランスを崩し安定性を失った身体は、再び安定性を求めます。
身体は、その安定性を元に「生きる」という運動を持続できるからです。
この一連の経過が病気の発症につながっていきます。

例えば、身体の一部分が熱を持ったとします。その時に現れる一般的な現象は「腫脹」、つまり「脹れる」ということです。ここに身体の重要な機能が隠されています。「熱を持つということは、他の臓器に比較して熱くなっている部分が身体に現れる」ということになります。すると、他の正常な部分との間にはアンバランス性を生じます。

次に身体が取る運動は、そのアンバランス性を消すことにあります。実際には身体は、熱を持っている部分の熱を逃がそうと、他の部分からの水を集めます。すると熱を減少させることができます。結果として脹れるという現象を現します。この過程を通して、熱を持っている部分のエネルギーの密度と他の部分のエネルギーの密度を近づけることができます。

その結果、身体の安定性を取り戻すことができ、その安定性を元に生命を維持することができます。これが理論的にみた「炎症」の発症メカニズムです。

漢方処方から見た病気の姿

次に、漢方薬の薬草は位置から病気という現象を垣間見ることができます。

● 小柴胡湯からみた病気の姿

小柴胡湯は有名で多くの病態を治す漢方処方です。
この小柴胡湯と構成と身体への効力と色々な病態を考えると「病気って…こんな姿を持っているのか?」ということが分かります。

小柴胡湯は7つの薬草から出来ており、柴胡6.0;半夏5.0;生姜4.0;黄芩・人参・大棗各3.0;甘草2.0との構成になります。

次に「気血水理論」により薬草を分けて行きます。
気剤:半夏・大棗
血剤:柴胡・人参
水剤:黄芩・生姜
太極:甘草 ということになります。

加えて、この薬草の組み合わせについて考えます。
半夏+柴胡+黄芩が三つ組で、大棗+人参+生姜がもう一つの三つ組です。
この三つ組の構成薬草の中央に甘草がいます。
この処方から示唆されることは肝臓の鬱血と小腸の虚血を改善する処方になります。

この小柴胡湯の症状や病気を見てみましょう。
矢数先生の漢方処方解説から抜粋すれば…横隔膜下の肝胆胃部の疾患・頭頸後部疾患・腎臓疾患・生殖器疾患・皮膚病・神経性障害など殆ど全ての症状を出しうる病態ということが理解出来ます。

結論として肝臓の鬱血と小腸の虚血という臓器のアンバランスが基盤となり色々な症状を出すことを意味しています。身体にも個性があるため症状が多彩なだけです。この様に病気という現象は臓器間のバランスを崩すことにより生まれることが小柴胡湯だけの解析でも考察することができ、漢方処方の解析でも病気の姿は浮かび上がってきます。

病気治療の考え方

身体の変化を肯定する考え方を持って治療に当たることが、本来の病気治療の在り方です。

身体は、あなたの命を守ろうとして病気を起こしています。その病気によって、あなたは苦しんでいるのかも知れません。でも、あなた自身の身体が、病気によってあなたの命を少しでも長く生かそうとしているといえます。

ですから、身体の言葉を聞きながら治療することが大切です。そして患者さんご自身も今までの生活や考え方を変える必要があります。医者は、患者さんと共に歩く人でしかありません。
どんな患者さんでも、ご本人が最終的な判断をして生きています。

「病気は治して欲しい。でも生活は変えません」という考えではどんな医者でも病気を治すことはできません。医者と患者さんとで二人三脚を演じる時こそが、病気が治っていく瞬間だと考えています。

病気が治らない理由

現代医学の方向性

現代医学は、西洋文明の基本哲学を基にしており、「病気を征服する」ことを主眼に成り立つ医学です。

ですがそんな視点では「病気と闘う医学」になってしまいます。病気に敵対心だけを抱いた医学の治療を受ければ、身体はちょっとした戦場にならないでしょうか。

ただし、現代医学は、症状を取ることに対して非常に有利です。また「現代医学が対症療法に終始している」といわれる所以が、このような現代医学の考え方にあることも伺えます。

治療に現代医学の力が必要なのは事実です。ですがその反面、「病気の根治治療を見つけ出せないでいる。現代医学だけに頼るのは危険である」 そんなことも言えるのかも知れません。

東洋医学の方向性

東洋医学は東洋文明の基本哲学を基にしており、「病気と順応していく」ことを主眼として成り立つ医学です。

この東洋医学は、「病気を最初から敵視せず、病気の必然性を考えよう」というもの。また、「自然の中に生きる人間の小ささを認め、自然と共に生きることが重要だ!」ということを基本においています。このような考えに基づく治療は、身体の意志を尊重します。つまり、患者さんの身体を戦場にすることはありません。

ただし、東洋医学が進歩しないことから、現代医学と比較すると古い医学と言わざるを得ません。これは東洋医学の本当の姿が、まだ解析されてないことからくる古さなのです。病気の身体に合った薬草を使った漢方治療は、現代医学で治るのとは比較にならないほどの即効性を示します。

これは病気の本来の姿を認識して医学が成り立っているからこそ、ということではないでしょうか。と、すれば、2つの医学の考え方を「現代医学=強い症状を取るための治療」「東洋医学=根治治療」として応用することがよいのでは?と思われます。

追記:漢方医学の変遷については…当院ブログの「日本に漢方医学が残った背景とは?」をお読みになって下さい。少し難しい部分もあるかも知れませんが、これが江戸時代から明治時代、そして現代の保険適用漢方になるまでの変遷です。

最善の治療とは?

医療に頼らず、ご自分の生活を顧みて、ご自分から積極的にご自分の生活環境を変えること、それが一番です。

医療を受けるならば、医療の特長をよく知った上で受けることをお勧めします。当院では、現代医学と東洋医学を併用することで、現代医療だけでは治らない多くの病気を治療することができると考えています。

最後に、医者としての自分の役割は、二つの医学を併合して新しい医学を作ることに他なりません。

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